恍惚の宿木 -玲瓏彩香-
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▼-自分の弱さを正視できない人間は…-或阿呆(4/28-02:54)No.16941
 ┣Re:自分の弱さを正視できない人間は…-スガイ(4/28-07:36)No.16942
 ┃┗Re:自分の弱さを正視できない人間は…-或阿呆(4/28-12:04)No.16944
 ┣Re:自分の弱さを正視できない人間は…-呼吸(4/28-08:34)No.16943
 ┃┗Re:自分の弱さを正視できない人間は…-或阿呆(4/28-14:19)No.16945
 ┣Re:自分の弱さを正視できない人間は…-ciao_ゆきえ(4/28-18:46)No.16948
 ┃┗Re:自分の弱さを正視できない人間は…-ciao_ゆきえ(4/28-18:49)No.16949
 ┣Re:自分の弱さを正視できない人間は…-デス(4/28-20:40)No.16953
 ┃┣Re:自分の弱さを正視できない人間は…-デス(4/28-20:43)No.16954
 ┃┗Re:自分の弱さを正視できない人間は…-(5/14-21:48)No.17157
 ┣Re:自分の弱さを正視できない人間は…-とほりすがり(4/29-01:01)No.16963
 ┗Re:自分の弱さを正視できない人間は…-ガム(4/29-02:26)No.16964


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16941自分の弱さを正視できない人間は…或阿呆 4/28-02:54

自分の弱さを正視できない人間は、他人の弱さも正視できない。
自分の弱さを正視できない人間は、他人に己の弱さをみて、
それを否定し、排除しようとするのだ。

しかし、人は誰しも弱さをもっているものである。
人間の中には光と闇、神と悪魔が存在していて、
光や神が強くなれば強くなるほど、
闇や悪魔もより強く大きく育つ。
これらの力は相対的なもので、
強い作用力が働けば、必然的に反作用力も強まる。

強い悪の否定こそが、強い善の肯定となるように…
…両者は互いを強く否定しあうことによって成り立っているのだ。

したがって、己の光としての、神としての性質を伸ばそうとすることは、
必然的に、己の闇としての、悪魔としての性質を伸ばそうとすることにつながるのだ。

ああ!こうして「より気高くあろう」とするものは、他者に己の「より醜悪な部分」を見るようになる。
彼の目にはあらゆるものが、己の闇の表象として写る。
あるものは、そこに見出した己の「闇」を排除しようとし、
あるものはこの世に絶望し、己の命を絶とうとするだろう。

前者は決して他者を認めようとしない、独善的で批判的な破壊者となり、
後者は全くばかばかしい理由で一度限りの生命を絶たねばならない。
どちらも不幸な道である。

こうならないために、人は…とくに「気高くあろう」とするものは、
心して己の弱さに向き合っていかねばならない。
弱さは否定されるべきものであるが、目をそむけるべきものではないのだ。
寧ろ己の闇をはっきりと正視し、これを強く強く否定することによって、
相対的に己の光を肯定することこそが、
即ち人間的完成へのもっともシンプルな道程であると知るべきである。

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16942Re:自分の弱さを正視できない人間は…スガイ 4/28-07:36
記事番号16941へのコメント
弱さを正視できる人間なんてなかなかいないです。
そんな自分の弱さに負けて死んでいったら無駄死にみたいに言わないで下さい。
たとえ弱さと向き合えたとしても
それを克服できるのもほんの一部の人間だけだと思います。
目をそらしながらでもそれなりに生きていけたらそれでいいんだと言う考えは無しなんでしょうか。

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16944Re:自分の弱さを正視できない人間は…或阿呆 4/28-12:04
記事番号16942へのコメント
>弱さを正視できる人間なんてなかなかいないです。
>そんな自分の弱さに負けて死んでいったら無駄死にみたいに言わないで下さい。
>たとえ弱さと向き合えたとしても
>それを克服できるのもほんの一部の人間だけだと思います。
>目をそらしながらでもそれなりに生きていけたらそれでいいんだと言う考えは無しなんでしょうか。

>弱さを正視できる人間なんてなかなかいないです。
 そうですね、私もそう思います。
でも、「なかなか出来ることではない」からといっていつまでも
その「努力をしなくていい」ということとは違うと思います。
もちろん、人間全ての弱さを一気に正視したり、克服できないことはわかります。
私だって人間ですから、そんな神様なんてことは出来ません。

 ですから、少しずつでもことあるごとに…例えば…
ある人の行動を見て「嫌な人だな」って思ったとき、その「嫌だな」は自分の弱さに
向けられた言葉じゃないのか…他者に投影された自分の嫌な部分じゃないか…
そう自省してみるのです。他者の作品や態度や言動などの中に、投影された
自分の弱さを、余裕の或る時でいいので吟味してみるのです。

 そしてもしその自分の弱さに気付いたら、すぐにでも無理に克服しよう
とする必要はありません。ただ、それは自分に課せられた課題だと思ってください。
先延ばしは出来ますが、いつかは対決すべき自分の姿なのだと、それだけは
忘れないようにしてください(これは私自身に対する自戒でもあります)。

 そうすれば、他人に投影した自分の弱さの、それに対する認識も変わってくる
と思います。それまではふとした瞬間、他人に自分の「見たくない部分」を見てしまい、
無意識に怒りとか憎悪とか侮蔑とか、そういった否定的感情が生まれてきたものが、
あらゆる人間の弱さが『いずれ』克服されるべき課題、誰もが持つ課題なのだと思えば、
いろんなことに寛容になれると思いますし、自分の弱さを「課題」として、
長い目で見守ってやれるようになれば、驚くほど生きるのが楽になると思います。

 別の…ある出版社の投稿向けに書いた詩のなかで、私は
「己に寛容になれる人間こそが、他者にも寛容になれるのだ」と述べました。
自分に余裕の無い人間は、他者を寛容する余地なんてありませんよね。
何時も自己否定観念に苛まれて、追い込まれた自我がその防衛本能
によって、あらゆる外力を排除しようとするのです。

 これは以前の私自身の姿でした。そして今でもこういうところは残っているのと思います。
今回の詩は実を言うと他人に向けたものではなく(詩とは本来そういうものだと思いますが)
自分に対して向けられたメッセージなのです。それをここに掲載させていただいたのは、
私と同じように自己否定観念に苛まれ、それによって本当の意味で他者を認めることの
出来なくなった人たちに、私なりに見出した打開策を提示できればなと思ったからです。

 以上長文失礼しました。

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16943Re:自分の弱さを正視できない人間は…呼吸 4/28-08:34
記事番号16941へのコメント
或阿呆さんは、
「弱いままでいい。そんな私をわかって。」という表現者の主張は、
多くの人の生き様にプラスの影響を与えるものだと思いますか?
私は、違うと思っています。

自分の弱さを認めることは、大事だと思うけど、それは、
「ちょっとだけでもいいから昨日よりも人を愛そう」という努力を
放棄することとは違うと私は考えます。

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16945Re:自分の弱さを正視できない人間は…或阿呆 4/28-14:19
記事番号16943へのコメント
>或阿呆さんは、
>「弱いままでいい。そんな私をわかって。」という表現者の主張は、
>多くの人の生き様にプラスの影響を与えるものだと思いますか?
>私は、違うと思っています。
>
>自分の弱さを認めることは、大事だと思うけど、それは、
>「ちょっとだけでもいいから昨日よりも人を愛そう」という努力を
>放棄することとは違うと私は考えます。

>「弱いままでいい。そんな私をわかって。」という表現者の主張は、
>多くの人の生き様にプラスの影響を与えるものだと思いますか?
 わたしも違うと思いますし、そのようなことをこの詩で述べているのでは
ありません。弱さを正視する、認める…という表現が分かりにくかったのかも
しれませんね。
 私がこの詩で述べているのは、上のスガイさんへの回答で述べたように、
自分の欠点や弱さというものを克服されるべき課題として受け止めれる…という
ことです。

「弱さは否定されるべきものであるが、目をそむけるべきものではないのだ。」
 ここの書き方もわるかったですね。弱さは克服されるべき課題であるが、
(それの実態が醜悪であるからといって)目をそむけていては、己の中に
そういう醜悪な部分を飼い育てることになり、それは折に触れて他者という鏡に
投影され常に自己を脅かすようになる…というのがここで本当に述べたかったことです。

 こう言った「課題」は決して目を背けたくなるような「恥ずべき汚点」ではなく
、万人が生まれながらに背負った「永遠に続く課題の連鎖」なのです。そう考える
ことによって、先ずこの課題を意識化し、目を向けていくことが可能になるでしょう。
その上で明確に意識化されたこの課題を「いつか克服されるべきもの」という否定的
視点で捉え、それを乗り越えるプロセスを強く肯定しよう(つまり原動力にしよう)
というわけです。

 課題は否定的に捉えられはしますが、それはすでに目をそむけるべき汚点などでは
ありません。人間はもともとそういう克服すべき課題を与えられ、それを乗り越えていく
のは当たり前のことなのだから、そういった「課題を持っている自分」という姿は
恥ずべきものでも劣っているものでも目をそむけるべきものでもないのです。
そういう風に自己を「当たり前の超克されるべき存在」として容認することが出来れば、
様々なコンプレックスを表層化させることが可能になり、そういった無意識的性質の
ものが他者に投影され悩まされることも無くなるでしょう。そういった視点で、
他者をも「当たり前の超克されるべき存在」として捕らえれば、他者に見出したいろいろな
欠点(と思われる)ものについてイチイチ目くじらをたてるような事はなくなると思います。

 そういった「自己超克」の概念と、それが「万人に当たり前に備わった素質である」
という視点にたって、他者を容認する…というのがこの詩の要点であると自分は思っています。

(それにしても詩の理論的解説ってのは難しいです)。

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16948Re:自分の弱さを正視できない人間は…ciao_ゆきえ 4/28-18:46
記事番号16941へのコメント
誇り高き山頂で遠くを見渡すしている 猛禽類のような 
するどい洞察を読んだ気がします。



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16949Re:自分の弱さを正視できない人間は…ciao_ゆきえ 4/28-18:49
記事番号16948へのコメント
>誇り高き山頂で遠くを見渡たそうとしている 猛禽類のような 
>するどい洞察を読んだ気がします。

 或阿呆さま すみません。わたくし ほんまものの阿呆なので誤字です。
 なにげに訂正しました。
 弱い人なので  おのれの過ちにめげず。しつこく訂正を入れさせていただきました。ぺこり。 

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16953Re:自分の弱さを正視できない人間は…デス 4/28-20:40
記事番号16941へのコメント
>自分の弱さを正視できない人間は、他人の弱さも正視できない。
>自分の弱さを正視できない人間は、他人に己の弱さをみて、
>それを否定し、排除しようとするのだ。
>
>しかし、人は誰しも弱さをもっているものである。
>人間の中には光と闇、神と悪魔が存在していて、
>光や神が強くなれば強くなるほど、
>闇や悪魔もより強く大きく育つ。
>これらの力は相対的なもので、
>強い作用力が働けば、必然的に反作用力も強まる。
>
>強い悪の否定こそが、強い善の肯定となるように…
>…両者は互いを強く否定しあうことによって成り立っているのだ。
>
>したがって、己の光としての、神としての性質を伸ばそうとすることは、
>必然的に、己の闇としての、悪魔としての性質を伸ばそうとすることにつながるのだ。
>
>ああ!こうして「より気高くあろう」とするものは、他者に己の「より醜悪な部分」を見るようになる。
>彼の目にはあらゆるものが、己の闇の表象として写る。
>あるものは、そこに見出した己の「闇」を排除しようとし、
>あるものはこの世に絶望し、己の命を絶とうとするだろう。
>
>前者は決して他者を認めようとしない、独善的で批判的な破壊者となり、
>後者は全くばかばかしい理由で一度限りの生命を絶たねばならない。
>どちらも不幸な道である。
>
>こうならないために、人は…とくに「気高くあろう」とするものは、
>心して己の弱さに向き合っていかねばならない。
>弱さは否定されるべきものであるが、目をそむけるべきものではないのだ。
>寧ろ己の闇をはっきりと正視し、これを強く強く否定することによって、
>相対的に己の光を肯定することこそが、
>即ち人間的完成へのもっともシンプルな道程であると知るべきである。
>

ワシこの詩を批判する人の気持ちよ〜くわかります。みんな自分の弱さわかってんねん、
おれかて痛いほどわかってんねん、なのになんでそれをあえて尻をひっぱたくように
自分の弱さ認めろ認めろ言うねん・・・殺生やわ〜 という感じなんじゃないでしょうかねえ。
みんなそれぞれに頑張ってんですよね。明日の生活を心配する者、友達とのことで傷ついて悩んでる
者、無能な者、挫折する者、思い通りにならない者、み〜んなわかってんだよね。
みんな弱くてどうしようもないことわかってんだよね。だから可愛いんだべさ?人間て。
痛々しいまでに弱い人間を、ワシはヨシヨシってしたくなります。たいがいの人間弱いねん。
それたいがいの人間痛いほどわかってんねん。教師みたいな上司みたいな人間嫌いやねん。
みんな強くなりたくて頑張ってんねん。頑張れんようになったら練炭で自殺するんや。
本人の弱さもさることながらそれはなんでお前は頑張れへんの?という全体社会の犠牲者でも
あるねんや。ワシそういう弱い一人一人のこと忘れたくないねん。なんでかかばいたくなるねん。
無論無駄死にした連中のこと「馬鹿め!」という気持ちで残念になるんやけどもね。
悪を憎むのもけっこう、正義に額ずくのもけっこう。だけど大上段からモノ言われたら
カチンとくるんよ。

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16954Re:自分の弱さを正視できない人間は…デス 4/28-20:43
記事番号16953へのコメント
かくいうワシなんか大上段どころか雲の上からモノ言うことあるんだけどもね(笑)

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17157Re:自分の弱さを正視できない人間は… 5/14-21:48
記事番号16953へのコメント
>痛々しいまでに弱い人間を、ワシはヨシヨシってしたくなります。
これ、どうにも心のそこから納得のいく一言です。
で、弱いふりをして図太い人間が大嫌いです。

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16963Re:自分の弱さを正視できない人間は…とほりすがり 4/29-01:01
記事番号16941へのコメント
>こうならないために、人は…とくに「気高くあろう」とするものは、
>心して己の弱さに向き合っていかねばならない。
>弱さは否定されるべきものであるが、目をそむけるべきものではないのだ。
>寧ろ己の闇をはっきりと正視し、これを強く強く否定することによって、
>相対的に己の光を肯定することこそが、
>即ち人間的完成へのもっともシンプルな道程であると知るべきである。



世の中に、
自分の弱さを認めないまま成功したり、
あるいはたたえられたり、
そうでなくても平凡に幸せな生活を送っている人が、
いったい何人いるんだろう。
弱さなんてあって当然で、
それに気付けないにしても上手く回っていくもので、
自分の運だったり他人の気使いだったり、
そんな事でどうにでもなる。
人間は自分の強さや弱さを見出すことで
何らかの満足感は得られるかもしれないけど、
そんな事よりも目下考えなければいけないことや、
立ち向かわなければいけないことがあるわけで、
シンプルに生きようと思ったらもちろん、
そんなところに思いを馳せているのはなんだか非合理的な話だし、
そもそも人間的完成なんてものが、
誰にも定義づけできないようなゴールなんだと思う。
もしそんなものがあったとして、
それじゃあ完成していなかったら、どうなる?
…無論、どうにもなりゃしない。
他に何もする事がないような暇な人ならわかんないけど、
そうじゃない何かに手を付けている人達は、
自分の人間的完成なんて待たずに、
もっと他の事やってるうちに人生終わってしまうよ。
でも、それってたぶんそんなに不幸せな事ではない気がするんだよね。

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16964Re:自分の弱さを正視できない人間は…ガム 4/29-02:26
記事番号16941へのコメント
>自分の弱さを正視できない人間は、他人の弱さも正視できない。
>自分の弱さを正視できない人間は、他人に己の弱さをみて、
>



自分は人間として完成されたものになれるとは思いませんけど、
己の弱さを見てしまう事も、
当然なことで見える時は見れば良いんだ 
と昔、友人に言われたのを
思い出しました


たとえば誰にも善意はあるし
悪意もある

両極に混乱していても
悪くないかな

それを感じて苦悩するのは
実際には立ち止まっているにせよ
ひとつの歩みなのかもしれない


自分にとってはこの詩は肯定的です>