恍惚の宿木 -玲瓏彩香-
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▼-不確定世界で信じるべきこと-或阿呆(4/26-00:26)No.16922


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16922不確定世界で信じるべきこと或阿呆 4/26-00:26

この世には何一つ、絶対的なものなどは存在しない。
この世はこの上ない不確定性にみちた不完全な世界である。
人間の感覚や、そもそも我々人間の存在すら不確実なものなのだから、
その人間が、己を取り巻く世界のことを、如何にして確実に知りえるだろうか?。

では−−人間の感覚や思考や信念、その全てが常に不確実なものなのだとすれば−−
我々は今この瞬間、何を信じたらいいのだろう?。

 ……人は不確定性に囚われ、何を信じればよいのかわからなくなると、
 ……そこから一歩も動けなくなってしまう。

ではどうすればよいのか?

…わたしは思う、
この世がどんなに不確定で不確実な世界であるとしても、
その時々に人間が感じ、思い、信じたものはすべて、
その時々において確実なのであり…それはすべて正しいのであり。
人はそれを頼りに生きていけばよいのだと。

何故なら、その時、その瞬間に我々が感じ、思い、信じたということは、
この不確定な世界のなかで唯一、自分で確認できる…自明の事実であるからだ。
より端的に述べれば、この不確定な世界で、唯一信じられるものが有るとすれば、
それはその時々の「己の主観」であるといえるだろう。

ユングの概念を借りていうなれば、アプローチ上「外向・内向」の違いはあっても、
実際にはどちらにも主観は存在し…
最後に決定を下すのは「主観」であり、最後に行動するのは「己」なのだ。

己が信じられなければ決定など下せるわけもなく、
己から動こうとしなければ行動には移せるわけがない。

結局、世の中がどんなに不確定で不完全であっても…
最終的に頼るべきは「己」、信じるべきは「己」なのである。

人間にとって、この世の全てが不確定性に充ちたものであり、
人間存在、人間信念そのものもこの上ない不確定性に充ちているのだから。
当然その時々の信念が間違っている可能性はある。
当然その時々の信念が正しい可能性だってある。
結局それは『自分以外』のだれにも分からないのだ。

よって過ちを恐れる必要などまったくもって必要ない。
過ちを恐れて何も信じられず、何事をも為しえないよりは、
己の信ずるところを信じ、己の思うように振舞うほうが、
余程人間らしく、生産的である。